VIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(6)
アメリカに上陸した万延元年遣米使節一行は、外国にあなどられまいと尊大にふるまう。迎えるアメリカ政府当局とメディアは、ある思惑から日本を丁重に扱い持ち上げる。集まった群衆の中を、使節団七十余名がこわばった表情のまま厳かに進む。が、その緊張を一気に解いてなごませてしまったのが、16歳の立石斧次郎教之だった。 日本を高度な文明国と扱いたいアメリカ...
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「Mikado cocktail」登場のきっかけを作ったトミー=立石斧次郎教之(イラスト・藤原カムイ) 立石斧次郎はトミーと呼ばれて一躍人気者になった。新聞は彼のお茶目な様子を書き立て、人々は正使も副使もそっちのけで一目彼を見ようと集まった。この“トミー旋風”が、「ジャパニーズ・カクテル」が創案される下地となるのである。 「あの有名なトミー」立石斧次郎...
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万延元年遣米使節団は、予想外の“立石斧次郎(トミー)人気”を巻き起こしながら、ついにニューヨークにたどり着く。その空前の日本ブームの中心とも言える、使節団宿泊地のすぐそばに、実はJ.トーマスのバーはあったのだ。 ニューヨークに50万人を集めた“トミー旋風”...
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J.トーマスの事績をたどると、彼がサンフランシスコにいたこと、バーテンダーの仕事を欧米に広めたことなどがわかる。そして、万延元年遣米使節がニューヨークに到達したとき、彼のバーはサムライたちの宿泊先の目と鼻の先にあった。 サンフランシスコでバーテンダーになったJ.トーマス 本格バーテンダーの始祖とされるJerry...
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日本から万延元年遣米使節を迎えたニューヨークも、やはりサムライたちの話でもちきりだった。そのさなかに、J.トーマスは「ジャパニーズ・カクテル」を創出したはずだ。しかし、なぜその味になったのかの解明には、別な検証が必要だ。 さすが世界の酒を知るJ.トーマス 「IMBIBE!」(David...
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90年代後半にシアトル系コーヒーが相次いで上陸したことが、思わぬ形で「ジャパニーズ・カクテル」の味の秘密に迫るきっかけをもたらした。その味の決め手の一つとなるオルゲート・シロップが国内で入手可能になったためだ。 シアトル系コーヒーがもたらした好機...
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サヴォイ版「ミカド・カクテル」の再現の後、筆者はたまたま立ち寄った横浜中華街の店で、あっと驚く発見をした。サヴォイ版「ミカド・カクテル」の味と類似する酒を見つけたのだ。 横浜中華街でのささやかな贅沢...
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「ジャパニーズ・カクテル」の味は紹興酒がヒントになっていると違いないと気付いたものの、その結び付きが物理的・歴史的に可能なことだったのかを検証する必要がある。最も重要な問題は、紹興酒がJ.トーマスの時代にアメリカに渡っていたかどうかだ。 J.トーマスの時代のアメリカに紹興酒はあったか?...
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サンフランシスコに渡った中国南方の人々が、ふるさとで飲み慣れた酒は蒸留酒の白酒(バイチュウ)ではなく醸造酒の紹興酒だ。だから、J.トーマスの時代のサンフランシスコのチャイナ・タウンには紹興酒があったと推測できる。そして、J.トーマスは当地にいたのである。 北の白酒・南の紹興酒...
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J.トーマスによる「ジャパニーズ・カクテル」のオリジナルのレシピには、今日手に入らないリキュールがある。サヴォイ版「ミカド・カクテル」はその失われたものを補う形で作られたレシピだ。横浜中華街での発見は、このレシピあればこそであった。 サヴォイ版「ミカド・カクテル」...
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注文していたオルゲートが届いたので、改めてジャパニーズ・カクテルが紹興酒と共通の味を持つ飲み物であることを確かめてみる。ところで、筆者の自宅にはジガーがない。なぜないのか、この機会にお話しておきたい。 役者はそろったがジガーがない...
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出来上がったジャパニーズ・カクテルの色は、やや赤みが強かった。アンゴスチュラ・ビタースではなく、オリジナルどおりにボガーツがあればと思う。生産中止となったそれを再現する方法は伝わっているが、それを試そうと思えない事情がある。 再現可能なジャパニーズ・カクテルのレシピ 味のレポートを書くつもりが、前回は余談で終わってしまった。気を取り直してジャパニーズ・カクテルのレシピのおさらいから始めよう。...
View ArticleVIII 日本人の知らないジャパニーズ・カクテル/ミカド(18)
再現したジャパニーズ・カクテルの香りは醸造酒の持つ複雑な香りを持ち、最初の口当たりも紹興酒のそれに似たものを感じさせた。ただし、近さを感じさせる一方、すれ違う部分もある。そこで筆者が気になったのは、ベースとなるブランデーの質だった。J.トーマスのものは、最高級のブランデーが使われていた可能性が高いのだ。 同窓会で久しぶりに会った恋人のように 「The World’s Drinks And How...
View Article家飲みでうまいジントニックを楽しむ
今年の夏は、本当にジントニックばかり飲んでいた。100円ショップで買ってきた氷から大ぶりのものを選んでパイントグラスに放り込み、顔なじみの八百屋が安くしてくれるライムをたっぷり絞って、タンカレーを目分量で注ぐ。ウィルキンソンのトニックを注いで、アンゴスチュラ・ビタースを数滴垂らせばうまいジントニックが素人でも簡単に出来るから、気が付けば夏の2カ月ほどでジンを4本は空にしていた。...
View ArticleIX ジントニックの現在・過去・未来(1)
ジントニックについて、これが生まれてからの歴史と、現在そしてこれからについて書いていく。まずはジンの発祥からご紹介するのだが、国内にその資料が少ないことからお伝えしなければならない。 国内にジンの資料は見当たらない...
View ArticleIX ジントニックの現在・過去・未来(2)
ジンの歴史は蒸溜技術を人間が知った頃からさほど時を置かずに始まっているので、その“創世記”には学生時代にしか縁のなさそうなヨーロッパの王様の名前や事件がひょいひょい顔を出して面喰らう。ここで細かいジンの足取りと成長過程を調べていると、いつまでたっても日本にたどり着けなくなるので、19世紀にジンとトニックが邂逅を果たすまでを駆け足で簡単に見ていこう。 英蘭の一筋縄では理解できない仲...
View ArticleIX ジントニックの現在・過去・未来(3)
江戸時代の日本で描かれたヘンドリック・ヅーフ ”Japanese painting of Hendrik Doeff, beginning of the 19th century.” See also Wikimedia commons 日本におけるジンの物語を始めるためには、いささか酒の話からは脱線するのだが、江戸幕府時代のオランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ヅーフ(Hendrik...
View ArticleIX ジントニックの現在・過去・未来(4)
ヘンドリック・ヅーフ Hendrik Doeff by Charles Howard Hodges. See also Wikimedia commons....
View Article「テキーラフェスタ2012」主催者予測を上回る盛況
「テキーラが好き!」で集まった入場者の数は400を超えた(写真提供:日本テキーラ協会) 日本テキーラ協会(東京都港区、林生馬会長)は、12月16日、「テキーラフェスタ2012」を東京豊洲の「カフェハウス」で開催した。2008年7月に発足した同協会の初めての全国的なイベントで、協会の予測を上回るおよそ400人が来場した。...
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